長崎県佐世保市で税理士事務所をしております西村浩太郎です。
事業所の皆様の日々の財務、労務から複雑な事案のご相談まで、ニーズに合った業務を行うように心がけています。 お気軽にご相談ください。
所長雑感
1月18日、19日に大学入試センター試験が行われました。 毎年、センター試験の日は、天気が悪いことが多いらしく、今年も雪が降ったり積雪したりする地域があったようです。
40年前、私も受験したことを思い出しました。 当時は共通1次試験と言っていました。 それ以前は個別の大学がそれぞれに入学試験を実施していましたが、国公立大学共通の1次試験を行い、その1次試験結果とそれぞれの大学が実施する2次試験の両方により合否を決定する方法に変わりました。それが共通1次試験でした。その試験制度に移行して、確か2年目ではなかったかと思います。
40年前のその日もとても寒かったような記憶があります。私は、諸事情で高校の2年、3年生を病院で過ごしていました。とても受験勉強に専念する環境ではなかったので、2次はあきらめて、とりあえず基礎知識だけ押さえておこうと共通1次試験に絞って、ほとんど独学に近い勉強をしました。 結果は何とか拾っていだだくようなかたちで入試を終えました。 それでもうれしかった。それと同時に、その時の我が身で無事大学に通えるか、心もとない気持ちも広がる18歳の春だったように思います。 そんな受験体験なので華々しい戦果はありません。 ただ、ささやかな成功体験にはなったようで、主体的で学んでいくことの大切さを理解し、そのトレーニングにもなりました。
受験生の皆さん(と呼びかけてもこの散文を読む受験生はいないでしょうが)、センター試験お疲れ様でした。 受験勉強は、そのプロセスが後々になって「実」になってくるものです。 今、成果が出ていないと感じても、次(2次試験)も頑張って下さい。
私、やむを得ないレストレーションのために正月休みを拡大して12月後半から今年の1月中頃までお休みをいただいておりました。 時間を持て余さないように、普段は読みたくても読めなかった本を何冊か買い込みましたが、難しい話しを字面で追いかける気力がわかず結局挫折。
この本だけ読みとおしました。
「会計の世界史」 田中靖浩著 日本経済新聞社刊
技術革命による産業の勃興、経済の発展にあわせて進化した文系のルールや制度。 それは手形や小切手、商法や会社法。 会計もまたそうであります。 それは必要に迫られて進化したのでしょうが、そのルールをいち早く考案し、また習熟して活用した者が成功者となっています。
この本では、産業の発展を伴にして、商人が継続性を持ち企業となり、企業が大規模化、さらにコングロマリット化するに応じて国力が強化される、 経済の支配国が世界の覇権国となっていく様子を歴史的に考察しています。 その中で会計の主要テーマである簿記、資本、負債、減価償却などの生い立ちが説明されています。
現代は情報とAI革命の真っただ中。 新しい技術を支配する国は、新しい時代の覇権国となるのでしょうか。
会計に関する面倒な知識は不要です。 美術や音楽を好きな方、産業史が好きな方にも楽しめる一冊です。
読み物としてオススメいたします。
残りの時間は、「めぞん一刻」高橋留美子著 の単行本を読み直しておりました。
事務所の近くに佐世保バーガーの有名なお店があり、土日はいつも観光客と思しき人達で賑わっています。 クリスマスイブの昨日も、雨にもかかわらず多くの人たちが集まっていました。
雪にもならない雨が降り続く中、ハンバーガー店のすぐ側の、日よけ(雨よけ?)の庇だけ着いたバス停のベンチに若いカップルが寄り添うように座って佐世保バーガーをパクついていました。
豪華な食事や華やかな景色は無いけれど、このようなところに幸せは宿り、幸福の記憶は残るものなのでしょう。
今年も残りわずか。
一年間お世話になりました。
来年もよろしくお願いしたします。
今年はなかなか暖かくならず、桜の開花が遅れたようです。 そのおかげで入学式などの思い出の日に満開の桜を見る事が出来たかも知れません。 心に残る桜の風景になる事でしょう。
17、8歳の頃 桜並木のすぐ傍に居ました。 春には賑やかに花を咲かせましたが、散りいくことを知っているかのようにあっという間に散りました。 この季節になると、今でもあの木々の事が気になります。
先週は全国で大雪の予報が出ていましたが、九州佐世保ではそのようなこともなく、昨年の記憶にないような大雪に比べたら、うっすら雪化粧でおさまりました。
それでも温暖な地域に住む佐世保人には「寒い寒い」2月です。
写真の山は佐世保市(長崎県)と伊万里市(佐賀県)のちょうど真ん中に鎮座する「国見山」です。 街の雪が解けても山には雪が積もっていました(もうすっかり溶けた)。
佐世保から伊万里に抜けるルートとしてはなじみの道、「国見峠」(注1)が通る山です。
伊万里側のビュースポットから見下ろすと伊万里の街が一望できます。 「国見山」の名前の由来にも納得します。
サラリーマンの皆様には実感がないでしょうが、個人事業者の方々には、2~3月は憂鬱な月になります。
そう、「確定申告」の時期です。
一年分たまった帳面(会計帳簿)をあわてて作っていらっしゃる方も少なくないかもしれません。
頑張ってください。 帳面はなるべくためないでやりましょう。
申告が終われば、明るい日差しの春がやってきます。
(注1)
寒い冬は温泉にでも入ってゆっくりしたいものです。
「国見峠」は、漫画家畑中純氏の「まんだら屋の良太」の中にも登場します。 国見峠を越えてたどり着く九鬼谷が、良太の住む物語の舞台となる温泉街です。
絵の筆致も内容も荒削りで、よく言えば哲学的、民俗学、耽美主義、角度を変えると世俗的、猥雑、暴力が入り混じった夜話、情話という風情のお話しです。 人間の本質めいたものががちらっと垣間見えたりして、 漫画家協会賞を受賞し、テレビ化、映画化、フランス語での訳本が出たりしています。 同氏は版画家でもあり、また大学の先生もされました。
サイモン&ガーファンクルの「7時のニュース/きよしこの夜」
S&Gの3番目のアルバム「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド、タイム」の中の1曲。
クリスマスの日、夜7時のニュース。
暖かい家の中に流れる「きよしこの夜」と、テレビ(ラジオ?)から聞こえる60年代当時のアメリカの時事問題を淡々と読み上げる7時のニュース。
オリジナルは意味深い曲で、時節柄、我々の身の回りでも同じ気分を感じます。
ニュース無しのS&G「きよしこの夜」も聞いてみたいと思っていたら、どなたかがアップしていました。どうやったんだろう? すごい技術ですね。
ちょうどいい時期なのでご紹介します。
今年の10月13日はちょうど十三夜。
秋の名月を愛でてHPにアップしようと思っていましたが、その日はあいにくの曇り空。
月は出ませんでした。
残念に思っていたところ、昨夜、事務所の向かいのビルの真上に満月とも思しき月が出ているではないですか。
うまくは撮れませんでしたが、ココナッツムーンをご紹介します。
佐世保五番街の2階テラスからは、佐世保港が一望できます。 最近は、対岸の三浦岸壁に大型クルーズ船が寄港するようになり、港に彩りを添えています。
時刻は夕方5時半過ぎ、前日から入港していたクルーズ船「飛鳥Ⅱ」が出航の準備の為にエンジンを動かし始め、煙突から黒い煙を吐き出しました。
間もなく船の先頭と船尾に二隻の小さな水先案内船が近づいてきます。 船尾の船は、クルーズ船から降りてきた梯子のようなもので繋がり、人が話しをしているのが見えています。
やがて舫い綱がはずされ、船は大きな汽笛を鳴らし、あとずさりしながら岸から離れていきます。その間、クルーズ船と水先案内船はワイヤーのような綱で結ばれているようです。
バックしながら舵を左にきり、船首を外海に向けると、やがて前へ進みだします。
前へ進みだすと、船首付近にいたもう一隻の案内船が横で伴走し、クルーズ船はやがて外海に消えていきました。
水先案内人(パイロット)は、大型船が港に入出港する際に、浅瀬に乗り上げて座礁しないように、港の地形を熟知した専門家として入出港の案内をするお仕事です。
複式簿記は、中世ヨーロッパにおいて、地中海貿易が華やかなりし頃に発達したという説があります。
船長は船主から船と荷物を預り、各地の港で貿易をしながら富を持ち帰りました。
船長(経営者)から船主(資本家)を見たときに、船や積み荷は船主から借りている「借方」、船長が各地で金をつかえば、船主に対する立替なので「貸方」な訳です。
企業の事業活動を航海に例えるならば、年に一回の決算は、港への寄港。 我々は、会計や税の世界で座礁しないように企業の案内をしています。
我々の仕事も、ちょっと水先案内人の方々のお仕事と似ているなあと思いました。
三月は卒業の季節。 卒業生は、就職や進学又は浪人と人生の分岐点に立っています。 卒業の達成感と4月からの行方の不安感、そして友人との別れ(を錯覚してあわのように消える恋の瞬間発火もあったり)、春の陽気も相まって物憂い毎日を送っていることでしょう。
卒業おめでとう。 進学おめでとう。 就職おめでとう。 運悪く浪人しても大丈夫、大丈夫。
卒業生だけでなく、我々も、新しい季節に気持ちを切り替えてのぞみたいものです。
たとえ今が悪くても、風向きが変わり、潮目が変わることはけっこうあるものです。
帆を張って風に任せてみるのもいいかもしれません。
「或る列車」が今年の3月まで、長崎~佐世保間で一日一往復運行しています。
明治期に当時の九州鉄道がアメリカに発注した豪華列車。
その存在は分かっていたものの、現存する資料がほとんど無く、あるのは(後に有名となる)鉄道ファンが作成した鉄道模型。 そこからイメーイを膨らませて復元されたのが「或る列車」です。
車中では軽い食事も出されるらしく、一度は乗ってみたいと思っていますが、予約は満席で実現しそうにありません。 そうではなくても3月までは確定申告の繁忙期。 「いずれにしても無理か・・」と心理的に合理化しておきます。
「或る列車」のように、今年も皆様とご一緒に快走できますように!
A列車で行こう エリントン楽団 Youtubeより
どういう趣旨のHPかわからなくなりつつありますが、冬、春と続いたので今の時期にちょうど合う夏の歌をご紹介します。 山下達郎氏の「sparkle」です。
80年代初めに発売された同氏の名盤「FOR YOU」の一曲目です。
この歌を聴くと車のアクセルを踏み込みたくなります(踏んではいけません)
70~80年初頭に流行った単純で鮮やかな色を使ったポップなアルバムジャケットもかっこいい。
30年以上経った今聞き直しても、全然色褪せない名曲です。
学生の頃、車の窓を全開にして大音量で「sparkle」をかけて運転していたら、警察官に注意されました。
以前、友人数名でお世話になった先生に臥牛窯のコーヒーカップをお贈りしたことがあります。
臥牛はサギの絵柄がつとに有名です。
それ以来、川べりや道横に広がる田んぼでサギが目に留まるようになりました。
気掛けて見ているとけっこういるものです。
サギは集団行動をしないのか、いつも一羽で餌をついばんでいます。
この時期、雨に濡れながら一羽で黙々と餌をついばむ姿は、群れない孤高の人のように見える時があります。
経理事務所は、12月の年末調整にはじまり、1月は償却資産税の申告と法定調書の提出。 2~3月は確定申告と長い冬籠りに入ります。 そして気が付いたらパッと日差しが明るくなっていて、花々が黄色やピンクに色づいているのに気づく、そんな毎年の繰り返しです。
この季節、巷では「桜をテーマにした歌ランキング」のようなものをよく見聞きします。 最近ではどこのランキングにも入っているのを見ませんが、私の個人的な好みでいうとこれが1番です。
歌と動画のイメージが大変良くあっているのでこちらを借用いたしました。
先日、井上陽水の「氷の世界ツアーコンサート」を聴きに福岡へ行ってきました。
「氷の世界」は、井上陽水の4番目のアルバム、1973年に発売されて、1974年には日本で初めてのミリオンセラーになったアルバムです。
1970年代中頃は、フォークソングブームの成熟期。反戦歌やプロテスタントソングで流行りだした初期のフォークソングから、身近な恋や生活、不合理、抒情を歌うようなフォーク、ニューミュージックに変容していきました。 吉田拓郎はアルバム「LIVE‘73」から「今はまだ人生を語らず」を出した頃、かぐや姫は「かぐや姫さあど」「三階建ての詩」を出して絶頂期に解散、メンバー伊勢正三氏はフォークデュオ「風」を結成してかぐや姫時代の「22歳の別れ」をひっさげデビューした頃、同県人グレープは「精霊流し」が大ヒットした頃です。 それ以外にもフォーク百花繚乱の時代で、チューリップ、NSP,ふきのとう、とんぼちゃん、甲斐バンド、クラフト、ちゃんちゃこ等々いとまが無いくらい多くのグループがヒット曲を出しています。
ちなみに洋楽では、ミッシェルポルナレフの「愛の休日」が日曜日になると「ホリデ~ホリデ~♪」と耳のタコができるぐらいラジオから流れていました。
大きめのLPレコードはファッションアイテムの一つだったようで、レコード屋さんのビニール袋にいれて佐世保では四ケ町(よんかちょう)アーケード辺りを歩くのがオシャレだったような気がします。(ただし中坊だった私達に新品のLPを買うお金は当然無く、もっぱらカセットテープにボタン二つ押しのラジカセ録音でしたが)
当時中学生だった私達は、最後のフォークソング世代かも知れません。 ストロークの鬼と呼ばれる先輩を見て(これなら弾けそう)、安物のフォークギターを購入し、友人とちまちま曲のイントロの演奏テクニックを競い合ったりしたものです。
なかでも陽水氏の曲は鮮烈で、それまでテレビで歌謡曲しか聞いたことがなかった子供が、中学生になって初めて「窓の外ではリンゴ売り~声を枯らしてリンゴ売り~きっと誰かがふざけて リンゴ売りの真似をしているだけなんだろ」とか「僕のテレビは寒さで画期的な色になり とても醜いあの娘を ぐっと魅力的な娘にしてすぐ消えた」とか聞くものだから、「なんじゃ こりゃ!」と訳もわからず鳥肌が立ったものです。
40年近くを経て、「氷の世界」を最初から最後まで本人の生演奏で曲目順に聞けるとは思いもしない事でした。
マイクを通した声では世界一じゃないかと誰かが言っていましたが、陽水氏の声は太く高く伸びやかですごい迫力です。
アレンジも原盤に近いもので、聞き込んだ陽水ファンは当時の気分がよみがえったことだと思います。
当時のエピソードを交えながら進むコンサートに引き込まれました。
全編を通じて一か所だけ「おや?」と思った箇所があります。 現代にはなじまなくなった歌詞をほんの少し変えて歌っていらっしゃるようです。 そこらあたりには時の流れを感じました。
フォークファンでなくとも、「氷の世界」のレコードは買ったという方も多いと思いますので、機会があれば「氷の世界」を聴きに久しぶりにコンサート会場に足を運んでみてはいかがでしょうか。 お薦めします。
佐世保市内から北部の吉井町や平戸市に向かうとき、妙観寺という峠を山越えしていくルートがあります。 ちょうど峠の頂上あたりから下りきる頃まで前方の山々の稜線沿いに大きな風車がたくさんそびえ立っているのが見えます。
さしずめ今流行の「進撃の巨人」のよう!?
長崎鹿町ウインドファームという風力発電施設です。
以前から近くで見てみたいと思っていた施設なので、思い立って行ってみることにしました。
といっても観光施設ではありませんので、地図サイトでルートを下調べして2回目のトライでたどり着きました。
つつじで有名な長串山公園よりも東側、小佐々町から鹿町にたどり着く山越えルートを、明星峠あたりから目暗ヶ原方面へ降りていくとそこにあります。
関係者以外立ち入り禁止の区域のようですが、駐車場が作られていて、1基だけは側で見ることができます。
風車を置くだけあってさすがに風が強い場所で、遠くに下界が見下ろせます。
風を切って低いモーター音が聞こえます。
夕刻に、そびえ立つ風車を後方から眺めていると、「巨人」ではなく「風に立つライオン」のたたずまい。
多くの自然エネルギーが開発され普及する事が待たれます。
ここ数年、食事を良くこぼすようになりました。
原因は何かと考えてみると、近くが良く見えていない! 見えていないというか、見えているんだけど認識していないことが多いようです。 注意散漫もあるかも知れませんが、気が付けば、茶わんやお皿も少し遠目に置いている。 これが老眼の症状というものでしょうか・・・
ずいぶん昔(昭和49年、水曜9時だったと思います)テレビで「寺内貫太郎一家」というホームドラマをやっていました。 脚本は故向田邦子氏。
昭和のホームドラマは、家族で食卓を囲むシーンが良く出てきます。
「寺内貫太郎一家」でも、悠木千帆さん (現樹木希林)扮するばあちゃんが、ボロボロこぼしながら食事をするのを見て、孫役で当時の男性アイドルスター西城秀樹さん扮する周平が「きったね~な! ばあちゃん!」と悪気のない言い合いをしながら食事をするシーンがよく出てきました。
我が家にもばあちゃんが居て、こぼすのを見たら「きったね~な ばあちゃん」と茶化していましたが、まさか自分がそうなる(つつある)とは!
昭和は遠くになりました。
目の前の事にとらわれ過ぎて全体や展望が見えなくなっていることを「近視眼的」といいますが、目の前の事すらおぼつかなくなると「遠視眼的」とか、判断がブレて2転3転するのを「乱視眼」とか言うのかな(たぶん言わないだろうけど)
逆に専門家や技術者の技能の高さを例える時に「神(魂)は細部にこそ宿る」という言い方をする事もあります。
確かに有名な建築家や美術家の作品は、細部にまで手が尽くされています。
専門家に限らず、どのような仕事でも精緻で丁寧であることが、レベルの高さの重要な要素になります。
結局のところ、近くも遠くも良く見えてないと見通しは暗い言うことか。 物理的な低下は心の目で見るようにいたしましょう。 ああ難しい。
食事をこぼす話しから、取り留めもない連想をしながら、今年もまた年の瀬を迎えようとしています。
(注1) 寺内貫太郎一家の前シリーズは、故森光子さん主演、ホームドラマの名作、青少年も感涙しながらテレビの前にかじりついた「時間ですよ」です。
「時間ですよ」は3シリーズ(「時間ですよ昭和元年」と後年の続編は全く別の話しなので含まず)あります。 数年前にレンタルビデオを借りて、一年かけて通しで見たことがあります。 向田さんは、「時間ですよ」の脚本も多く手掛けていますが、全部ではありません。 向田脚本は、話の中に魔が潜んでいることが多く、単純な幸せ芝居ではありません。 かえって他の脚本家のストーリーの方が安心して見られたりします。 比較して見てみるのも面白いかもしれません。
平成26年4月1日より消費税の税率は5%から8%へ上がることが正式に決まりました。平成元年4月に3%で導入された消費税は、四半世紀で8%に、さらに2年後には10%へ上がる予定になっています。
バブル崩壊後の経済停滞による税収不足、また少子高齢化による社会保障費は毎年増えていき、今や国の借金(国債、借入金、政府短期証券等)は1,000兆円にも達しているといわれています。
このような借金まみれの国の通貨「円」が、それでも世界金融が不安定な時に安定通貨として買われる理由は、日本人の潤沢な金融資産保有高と消費税率の低さにあるのではないかと思います。
消費税導入の先駆国は、ヨーロッパ諸国ですが、フランスは19%、イギリス20%、スエーデンに至っては25%にも達しています。(全国間税会総連合会資料参考)
勿論日本では、国民は消費税のほかに社会保険料も負担していますし、法人税の税率は世界各国に比べて高いと言われていますので、単純に消費税だけで比較することはできません。
しかし消費税の税率を上げれば、国の財政収支は改善するという暗黙の安心感が「円」の信頼の根拠の一つになっているのは間違いないようです。
それにしても借金1,000兆円!
「これは今のうちに何とかしないととんでもないことになるぞ」ということは素人なりにわかりますし、世間的にも増税やむなしの雰囲気になっているようです。
でも・・消費税ってどこまで上がっていくの??
消費税税率はヨーロッパのようにこのまま上がり続けるのでしょうか?
今後、高度経済成長は期待できず、1,000兆円の借金の元利金返済、公共支出は増大し続けるとすれば、税率はあと四半世紀もしないうちに20%になるかも知れません。それから先は20%が30%になって、その時に財政危機に見舞われたらどうなるのでしょう? 40%になるのでしょうか?
財政はいつか破綻してしまうかも知れません。
国の財政支出は予算(単年度)主義、その年度についた予算はその年度中に執行されて余らせてはいけません。 一度ついた予算は次年度に減らすというのはなかなか難しいようなので、必然的に財政規模は膨らみ続けます。 消費税による税収はいくらあっても使い切ってしまうとすれば、税率も上がり続けます。
ここはひとつ、税率を下げる仕組みを入れた制度作りができないものでしょうか。
例えば、国の借金が一定額や一定割合まで下がったらいったん税率を5%に戻すとか、一定期間経過後に税率を段階的に元へ戻す等の文言を法律の中に入れておく等、絶えず下げる仕掛けを作っておく。 いったん下げて、必要な時にまた上げればよい。
「消費税は打ち出の小槌」という言い方を聞いたことがありますが、小槌にも限界があるので振りすぎて壊さないように、税率を下げる仕組みを入れた可逆性のある消費税制度作りを考えていただきたいものです。
毎年 税理士事務所は、「確定申告のトンネルを抜けると そこは春景色だった・・・」
という感じで春を迎えます。
春といえば花粉症の時期。 皆さんは大丈夫でしょうか?
私は 通年鼻をぐすんぐすん言わせていますが、「花粉症」ではなく「寒暖差アレルギー」ではないかと思っています。
私たちが子供のころ(それほど昔ではありません)「花粉症」等なかったように思います。
鼻水を垂らしている子供はいましたが、それは 風とおしの良い家に住んでいて風邪がなかなか治らなかったからで、(私もいつもぐすんぐすん言わせてましたが)少なくとも花粉症という言葉はありませんでした。
1972年に漫画アクションという雑誌に掲載された、上村一夫作の劇画「同棲時代」をご存知でしょうか。 後に由美かおる主演で映画化、主題歌は大信田礼子が歌ってヒットしました。
その「同棲時代」のヒロイン今日子は、劇中で同棲相手の次郎に「私お嫁にいけない体なんです。 花粉病っていうの」「空気の中にはいつも花粉がいっぱい 特に春はね わたしがホッとできる季節は冬だけ」と嘆いています。
それほど深刻な病気という認識だったかはさておき、珍しい症状だったのでしょう。
今では誰でも普通に発症しています。(花粉症でお嫁にいけないことはありません)
愿因は・・・政策的に植林した杉が、輸入材に押されて木材価格が低迷したり、生活様式が変化して木造家屋が減少して、伐採時期に来ているにもかかわらず伐採できずに花粉を大量に発生まき散らしているから??
産業や経済構造が変化して、「風が吹けば桶屋が儲かる」的に回り回ってみんなくしゃみをしているのかもしれません。 儲かっているのは製薬会社とマスク屋さんでしょうか。
はたまた一説によれば、昔、お腹の中にぎょう虫を飼って(?)いた頃は、アレルギーは少なかったと言います。
真偽のほどはわかりませんが、衛生的なのと健康的なのは必ずしも一致しないのかも知れません。(かといってぎょう虫は飼いたくはありません)
花粉症のみなさん お大事に。
(注)上村一夫氏は大変センスのある絵を書く漫画家(劇画家)で、他にも、作詞家阿久悠原作、村上一夫作画で三億円強奪事件をモチーフにして書かれ、後に沢田研二主演でテレビドラマ化された「悪魔のようなあいつ」も有名です。
12月23日にアルカス佐世保へ細坪基佳さんのコンサートを聴きに行きました。
細坪さんは、1970年代半ばに「ふきのとう」というフォークデュオのボーカルとして活躍された方です。 「白い冬」「春雷」等は知っている方もいらっしゃると思います。
クリスマス前夜ということで、クリスマスソングもあり、和やかな雰囲気でのびやかな歌声を聴いてきました。
その中の一曲に「やさしさとして思い出として」という歌があります。
『もうあなたと会えなくなる 二人で夢に見た手探りの青春は通り過ぎた 帰らぬ思い出として・・・♪』
当時の卒業間近の大学生の青春の一ページをセンチメンタルに歌った曲です。
今日はセンチメンタルな話しではなく・・・
その歌の一節に『もうあなたは冗談を言わず9月の事にかかりきりみたいで・・』というのがあります。
「9月の事」 それは大学生の就職活動開始の事です。
当時は、大学生の就職活動には「就職協定」というのがあり、企業が抜け駆けして早くから内定を出す「青田買い」が禁止されていて、大学4年生の秋頃(10月1日解禁)から就職活動をしていました。
今では協定はなくなり、聞くところによると大学2,3年生の頃から就職活動をしているそうです。
高度成長期からバブルにかけて、企業側にも求人需要が旺盛、大学生にもまだ少しは希少価値があった時代。 雇う側も雇われる側にも余裕がありました。
協定は1950年代にはじまり、バブルがはじけた後の1996年に廃止されました。
ちょうど日本の経済成長の時期と重なります。
そして長引く不景気。 今の大学生は本当に大変ですね。 頑張ってください。
当時の流行歌のフレーズに「公衆電話」や「手紙」が大変よく出てきましたが、今は携帯電話に席巻されて使われなくなりました。 代わりに、『いつもそばにいるよ』とか『いつも繋がっているよ』(幻想だと思うが)という言葉をよく耳にするのも、そのような影響でしょう。
そのうち携帯電話はスマートフォンにとって代わられて『いつも何でも知っているよ』みたいになるのでしょうか? それはストーカーっぽいですね。
経済学の基本中の基本のような話ですが、需要と供給の交差点が動いていくように世の中が移り行き、規制も変わります。
余談ですが、1970年代のフォークソングや歌謡曲には、歌詞の中の主人公が男か女かよくわからないものが多くあります。 どちらともとれるような歌詞で、聞く人のイメージを膨らませたんでしょう。
「やさしさとして思い出として」もそんな曲ですが、
今、思い出したのは、松本ちえこというアイドルの歌。(題名は思い出せません)
『僕高校の今2年生』~『結婚と恋愛別だけど いいお嫁さんになりたい それが僕の夢なんだ』
これを聞いた時は
「これはおかまの歌なのか?!」
と思いました(ちょっと意味が違うか)
新春なので、役に立つ話しでも書こうと思ったのですが・・・
つれづれなるままに(雑感ですので)
高倉健さんの映画「あなたへ」が公開中です。
「あなたへ」は、本県(長崎県)平戸市でロケがされており、ちょっとした観光ブームになっているそうです。
健さんが劇中できているオジサンジャンパー、 さりげなく着ていらっしゃるけど、実はこだわりの逸品です。
イギリスのバラクータ社製の「G9」というジャンパーで、 古くはハリウッドのフランクシナトラ、グレゴリーペック、スティーブマクイーンが愛用し、日本では健さんのG9フリークは有名で、他の映画やテレビドラマでも着用されています。
それほど高価なものではないので、私も健さんにあやかりたくて持っていますが、羽織ってみても健さんにはなれませんでした。。
というか、健さんのような税理士はおりません。。。
8月に消費税増税法案が成立しました。 「景気状況の好転」が附則に規定されてはいるものの、予定どおりいけば、税率は、14年4月に8%、15年10月に10%へ上がります。
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消費税が初めて導入されたのは昭和63年(平成元年4月施行)ですからその前の事だと思います。
テレビで、時の政府税制調査会某氏と税理士の討論会を見たことがあります。
税理士氏は「消費税は物価そのものだから景気への影響が心配」というような主張をしていらっしゃったのに対して、政府税制調査会殿は「消費税は税であるから物価ではない」という旨の事を説明されていたように記憶します。(古い記憶なので間違っていたらすみません)
皆さんはどう思われますか?
消費税は物の価値ではないかもしれないけれど、消費者は物を買う時に「いくらで買える」かにより購買意志を決定します。
景気は「気」というように、その時の懐具合と気分に左右されるところが大きいです。
とすれば、消費税は景気に影響する物価であるように思われます。
例えば、消費税込10,500円(本体価格10,000円、消費税500円)で商品を販売していたとします。
消費税率が10%に上がれば、消費税は1,000円になり11,000円で販売しなければなりません。
ここで10,500円に据え置いて販売したとしても、法律上は954円(10500円÷110×100)で商品を販売して、96円の消費税を預かったことになります。
そうすると、売上はダウンして納めるべき消費税は上がります。
消費税をきちんと転嫁して11,000円で販売したとしても、その値段総額が消費者の購買意欲をそぎ、じりじりと値引きして(下げざるを得ず)、954円程度でしか以前のように売れないとすれば、消費税を転嫁できなかったことと同じになりそうです。
事業者は、消費者から預かった税金を税務署に納めるだけと思われがちですが、増税は事業者にとっても大変厳しいことです。
先日所用で伺った大村市の某所。
夏空と湾岸縁の風景がちょっと地中海(?)風でした。
日頃、事務所内で数字ばっかり眺めているので、右脳を活性化させないと。
実は、数字を扱うのは・・・
人並みに、あまり好きというわけではではありません(笑)